前回は細胞レベルまで話が進んだので、引き続き細かいことを語ろう。
まず、ケトンをしばし置いといて、我々の体について新しい認識を求めたい。
我々人間は、我々が思っているように独立した肉体ではない。
今吾人が言葉を選びながら執筆をしているが、これは吾人独自の行動でありながら、実は吾人一人の判断と行動ではないとも言える。
誤解の無いように断っておくが、吾人はなにもここで哲学や心理学を語るわけではなく、別に気が狂いだしているわけでもない。
生物学的に細胞と遺伝子のレベルから自身という個体を観た時、実は自分の体は1個の生命体であるのではなく、実際には無数の生命体で構築されていることに気付かされる。
人体の57∼90%の細胞はバクテリア(細菌)細胞であり、もっと酷な表現をすれば、99%の遺伝情報はヒトゲノムではなく、肝心なヒトゲノムはたったの1%だけである。
つまり99%が微生物遺伝子で、人遺伝子はたったの1%と言うのである。
このことから結論として、人間とは「微生物収納マシーン」なのであった。
また一人の人間が、地球そのもののような生命の集合体であったのだ。
1928年、イギリスの細菌学者アレクサンダー・フレミングがペニシリンを発見し、第2次大戦中にこの抗生物質が適用され、多くの兵士を救ったという。
その後の世界の潮流は、人体から細菌を駆除することに焦点が置かれ、抗生物質は医者の決まり文句にまでなるほど普及した。
しかし、抗生物質の副作用として、人体に友好的な善玉細菌までも見境無く撲滅してしまうことで、さながら原爆とも言われ、抗生物質を忌み嫌い避けようとする人もいる。
哀しいことに、奇しくも第2次大戦において、内世界と外世界において2つの原爆が適用された。
もちろん、これまでに抗生物質が多くの人を救ってきた業績は否めないが、時を経るに従い、アレルギーという昭和時代には一般に存在したことがなかった症状が発生したことに、抗生物質との関連性に着目した学者が少なからず存在している。
それに加え科学の発達で、遺伝子や細胞が明確に認識できるようになり、驚愕な事実を目撃する昨今となった。
例えば、人間には2万2千のゲノム・染色体が存在すると発見されたが、回虫のそれに2千しか上回っていないことがわかり、かえって寄生虫とドッコイドッコイなことに、ショックでふさぎ込むことよりも呆れてしまった。
しかもこの2万2千のヒトゲノムに対し、1000万の微生物ゲノム(第2のゲノム)が人体には備わっているとのことで、遺伝子数的には人のほうが微生物レベルである。
健康な人で、腸に1000種類以上の微生物、口には300種類、皮膚には850、数百種類は生殖器、これはウィルス、菌類、寄生虫は含まれていない数だ。
3センチ四方の皮膚に60億の微生物体が存在し、1万種類以上の微生物が体内に同居していると言うから、「俺は一体微生物なのか、人なのか、どっちだ!!???」と迷ってもおかしくはない状態である。
また先に述べた人遺伝子はたったの1%であると言うことは、新たに生まれる次世代たちは、単純計算で0.5%ずつの父親と母親の遺伝子を受け継ぐわけであるが、99%の微生物遺伝子は母親からしか伝えられないと言うのだ。
だから世間一般にオヤジがゴミ扱いされるというのは、このことから起因している、つまり微生物たちの多数決によってもたらされていることなのだろうと、つい納得してしまった。
まあ冗談は置いといて、以上のことから、有機的組織エコロジー=スーパー・オーガニズム・エコロジーなる捉え方が昨今生まれつつある。
エコロジー、つまり地球にやさしくする考えが現在では定着しているが、人体を地球と捉え、微生物を地球上の生物・植物に当てはめて、人体にやさしい共生を目指していく思想で、一部の医療分野でも善玉・悪玉微生物のバランスを調節して健康にする考えに発展しつつあるようだ。
人体は微生物たちの棲み処であり、彼らは人体無しでは生きてはいけず、微生物無しの人体は栄養も充分に吸収できず、免疫力も落ち、確実に病気になるので生きてはいけない。
地球の生物誕生以来、この微生物と多細胞生物との持ちつ持たれつの関係が明らかになり、今後は微生物撲滅からの方向転換をして、共生と支援を念頭に置いた指標が立てられだしている。
詮ずる所、どんなにきれいな女優さんでも顕微鏡で見れば、微生物や細菌がウヨウヨした塊でしかない。
そして、我々の考えること、すること為すことは数の上から見て、実際には微生物によって左右されているのではと、ハッとしてしまう。
ところで、あるSNS サイトで、作成されてから半年ソコソコなのに、10万人ものフォローを集めたケトングループがあるが、その管理者が数か月前のこと「善玉だろうが悪玉だろうが、細菌などよそ者を養う心配をする必要などない」との意味の失言をしていたが、これは汝自身を知らない無知な意見である。
他の仔には乳を吸わさず、近寄れば頭突いて殺す牛や羊のような、味気ない畜生レベルの人間味を露出した意見である。
また、ケトジェニック・ダイエットを推進する人にしては、矛盾した意見でもある。
ケトン体のメリットを知る時、誰でも行き当たるのがミトコンドリアだ。
学生の時に単細胞のミトコンドリアを習ったのは覚えていたが、まさか人体にミトコンドリアが存在しているとは、ケトンを勉強するまでついぞ知らなかった。
しかも、人間の1つの細胞に300から1000個も存在し、エネルギー発電所とも称され、我々が動くためのエネルギーを生産してくれている。
このミトコンドリアが存在しなければ、我々は動くことができない。
頭を掻いたり、欠伸をすることさえできず、肺も心臓も胃腸も動くことはない。
またミトコンドリアはエネルギーだけではなく、熱と光も生産している。
東西の絵画・芸術で、如来や菩薩・聖者像にはよく後光が描かれているが、あれなどは実際にミトコンドリアの数が並外れて存在し、元気であることのしるしなのかもしれない。
このようにミトコンドリア無しには、人だけでなく生物は生きることはできないのだ。
我々はこのよそ者によって生かされていて、このよそ者も我々無しには繁栄できないのだ。
高校の授業でミトコンドリアについて習うと聞いているが、吾人には習ったという記憶が全く無い。
必須科目ではなく選択科目であったかもしれないと自分を励ましているのだが、あの時分、何を選択したかも覚えてないので、ドカ弁の食べ過ぎで、よほどミトコンドリアが少なかったのではないか。
とにかく気を取り直して、自分自身学び直す意味もこめて、ここにミトコンドリアの起源をおさらいしておく。
事は20憶年も大昔、地球に生物が誕生した頃にはまだ酸素は存在していなかった。
最初の生物と言っても微生物で、酸素無しにエネルギーを生産していた。
シアノバクテリアという細菌が光合成をして酸素を作り出し、酸素が増えた結果、酸素を使って効率良くエネルギーを生産する細菌が誕生した。
我々の祖先は酸素を使うことができなかったと推測され、燃費の良さから酸素を使用する細菌を取り入れた。
酸素からエネルギーを提供してくれる新住民に、蛋白質などの栄養分と住居を提供し、それ以降、持ちつ持たれつの共生を現在まで続けてきた。
と、この細胞内共生説はあくまでも仮説であり、将来、実はミトコンドリアの陰謀=コンスピラシーが隠されていたと暴露される日がくるかもしれない。
次回からは更にミトコンドリアとケトン体について語っていく。