ティム・ノークス

19世紀中期に、フランスのベルナールによって肝臓グリコーゲンが発見され、それからおよそ100年後に筋グリコーゲンが発見された。

それからと言うもの、この筋グリコーゲンの貯蔵庫を空にすれば「壁にぶち当たる」ので、運動を持続させるために運動前・中・後にカーボロード(糖質積載)を行うことが必須となり、ここ3、40年ほどでスポーツ栄養の常識となった。

体内に入った糖質がグルコース(ブドウ糖)となり、血中から各器官へと流れインスリンによって各細胞に取り込まれる。

そうして余ったものは骨格筋細胞に貯蔵されグリコーゲンとなり、それでも余ったものは中性脂肪となって貯蔵されるのがポッチャリ体脂肪だ。

要はグリコーゲンも体脂肪も貯蔵されたエネルギーで、運動や食料の確保が無い場合に備えてあるのだ。

マラソンやトライアスロンなど、競技前に大量の糖質を摂取してグリコーゲンを満たしておくのは、ちょうどガソリンを満タンにして長旅に臨むようなものであろう。

しかしながら、これら持久アスリート選手は比較的体脂肪率が高く肥満が多いと聞くのは、初耳には驚きであるが、このカーボロードの習慣を知り、ブドウ糖代謝を充分に理解していれば、さもありなんと頷けられないものではなく、加えてエリート・アスリートの中で2型糖尿病に罹患する人が少なからずいることも、残念ではあるが納得できてしまう。

 

このカーボロードを科学的に分析し、推進してきた中心的人物に南アフリカ共和国のティム・ノークス博士が注目に値する。

1985年に『Lore of Running 』(邦題『ランニング辞典』)を出版し、世界中のマラソンランナーたちに愛読され、ランナーのバイブルと称されるようになったほど、マラソン界では神的な存在であった。

ノークス博士自身、70回以上ものマラソンやウルトラマラソンを完走し、スポーツ科学と栄養学の分野で、世界中で数少ないA1科学者にも認定された。

運動誘発性低ナトリウム血症とそれによる脳症を90年代初めから警告し続け、中央総督理論(Central Governor Theory)なるものも提唱してきた。

運動誘発性低ナトリウム血症とは、運動中に過剰な水分補給によって、血液中のナトリウム濃度が減り、頭痛や吐き気、痙攣、昏睡状態に陥り、ひどい場合は死に至るもの。

吾人が高校時代の80年代は、運動中は水を飲むなとのド根性訓練であったのが、しばらくしてから脱水症状の危険があるとのことで、水は飲みたいだけ飲んでいいとなったのを耳にした時、「ありがたやア」と喜んだのを思い出す。

が、今度は、必要以上に水分を摂ることによって、塩分不足となって命の危険にも及び、実際に死亡したアスリートや兵士がいたことから、ノークス博士は調査をして、必要以上に水分は補給するなとアラームを鳴らした。

低ナトリウム血症を防ぐには、ガムシャラに水を飲むのではなく、喉の渇きに応じて水分補給を行うことであり、摂り過ぎれば塩分が不足し、その逆の脱水症状でも水分が不足することによって電解質が減ってしまい、全く似たような症状を来たすとは、文字通り過ぎたる対局は及ばざるで体には良くない。

また経験の少ないアスリートにとっては厳しい訓練以上に深刻な問題で、きちんと知識と良識を備えたコーチが必要となろう。

その弱みに付け込んでか、またはカーボロード、水分補給との新しいスポーツ栄養理論に便乗して、スポーツ飲料やサプリを生産販売し、ぼろ儲けをしだした企業は衰えを見せずに次から次へと新製品を開発して、飲めや食えやと喧伝する・・・。

 

一方の中央総督理論とは「壁にぶち当たった」時、疲労や燃料不足で筋肉が動かなくなるのではなく、筋肉自体は充分に機能するが、脳が体力の限界を察知して、これ以上続ければ取り返しが付かなくなるので、今すぐ運動を止めて休めとの命令を下し、このシグナルに応じて体が動かなくなる、つまりブレーキが掛かるという理論。

脳が中央集権的に体の安否を統率しているもので、実は体力の限界線は我々自身が感じるほど間近なものではなく、体力は思った以上に残されているのだが、脳が体内のケミカルレベルに応じて限界を規定して、生理的反応を呼び起こし心理的にも「これが限界だ」と影響を与え機能停止へと踏み切るものだ。

しかしこれを逆手に取れば、心身双方を鍛えることによって限界度を増すことができるとも言える理論だ。

 

以上の2点;運動誘発性低ナトリウム血症と脳症、中央総督理論は、ノークス博士自身が語る代表的な研究であるが、2010年12月12日を境に博士は一変した方向転換が為された。

博士はこの日、30年近く心血を注いで研究執筆し、27回もの校正を繰り返してきた本『Waterlogged: The Serious Problem of Overhydration in Endurance Sports』(水没:耐久スポーツにおける過水症の深刻な問題;筆者訳)を書き終えた。

翌朝、日課となっているジョギングをするが、普段走り慣れている5キロの平坦なコースにへとへとになったようだ。

そりゃあ61歳で5キロも走るなど、くたびれて当たり前だろうと思えるが、以前には週に120-220キロも走っていた博士にしてみれば、何でもないものであり、この時には週に20キロのジョグは習慣化していた。

レベルに違いこそあれ、吾人など十代の頃には500回の腕立て伏せをして、約30年後の現在は50回は何でもないのと同じようなものだ(が、正直言えば決まって2日後には筋肉痛になる)。

しかしながら、この時点で博士は齢を気にするのではなく、運動量の割には肥満になり、健康も下り坂になることに疑問符を抱いていた。

その背景には父親を2型糖尿病合併症で亡くし、自身も2型糖尿病を患っていたのだ。

その生涯、アスリートのパフォーマンス向上のために栄養学を構築し、推奨してきたが、それがかえって恐ろしい合併症を誘発する糖尿病へのリスクを高め、幾人かのエリート・アスリートや博士自身が罹患してしまったパラドックスを重く心の奥に抱いていたのだ。

 

13日の朝ジョグ後にインターネットを開くと、面識ある学者陣から本を出版したとのメールが届いていた。

その学者たちは、博士自身高く評価をしている教授陣、フィニー&ヴォレック博士とエリック・ウェストマン博士で、本は彼らの共著『New Atkins for New You』。

そしてこの本には「飢えを感じること無しに、6週間で6キロは痩せられる」ことが約束されていることに、煙たい感じもしたが信頼のおける科学者たちの書いたことなので、興味がそそられたらしい。

もちろんノークス博士は、アトキンス博士とそのダイエットは70年代から知っていて、「クレイジー・ドクター」として認識していた。

そして、医学界・栄養学界からのけ者にされ、科学のメスも入れられず無視され、孤軍奮闘していたアトキンス博士が、上の3人の学者たちに研究をするよう資金調達をして、科学的に立証せんとしていた事情も知っていた。

また、前回にも紹介した1983年のフィニー博士の研究も、ノークス博士は一目を置いていたし、2000年初めに、ノークス博士の博士号生徒であったジョン・ハウリー教授が同様な研究を行ったことも充分知悉していた。

そして何よりも面白い逸話に、1983年フィニー博士が調査報告を発表後、それを目にしたジンバブエの鉄人トライアスロン・アスリート、ポーラ・ニュービーフレイザーからノークス博士に電話があり、研究書に関して意見を求めてきた。

ノークス博士は「理論的に筋が通っている」と偏見の無い感想を述べ、「試してみたらどうだい?」と気軽に勧めたところ、ニュービーフレイザー女史は早速「高脂肪・糖質制限(LCHF)」ダイエットを開始し、それからの30年間、鉄人レース28回の優勝を独占した。

その内、世界チャンピオンシップは8回の優勝を獲得、「21世紀のトライアスリート」との栄冠に輝き、女史自身脂肪適応の体になったことがその要因であると確信し、LCHFダイエットを勧めてくれたノークス博士に感謝の意を表した。

当のノークス博士はこの時、カーボロードを推進していたので、うれしい知らせではあったが失笑ものであり、現在このことを振り返って「皮肉なものであった」と述懐している。

 

このような理論的実質的な結果を目の当たりに見てきた経緯もあり、早速本屋へ駆け込み『New Atkins for New You』を探し当てれば、1冊だけ置かれていたと、なんとも運命的な匂いを漂わす事の成り行きであった。

帰宅後この本を読み、国際的に有名な小児神経科医エリック・コッソフ医師が、数種類のケトジェニック・ダイエットを開発して、肥満や高コレステロール、2型糖尿病対策に効果を上げている現実に感銘を受け、2時間後には今まで40年間築き上げてきた医療知識、栄養に関する自身の考えは間違っていたと、すんなりと納得し改まってしまった。

それからと言うもの、この本のダイエットプランに従ったところ、文字通り飢えを感じることなく1週間で3キロの減量が見られ、8週間で11キロ、6カ月で15キロの減量となり、文字通り「6週間に6キロは痩せられる」との約束に違わなかったため、これはガマの油ではないと感嘆した。

減量の他に、ランニング・パフォーマンスの向上が顕著で、ダイエット開始1カ月後には慢性消化不良が完全に消滅、慢性的頭痛も消え、グルテンフリーにもなったことから花粉症と喘息の症状も見られなくなり、鼻炎や気管支炎などのアレルギーの症状が一切無くなった。

15歳から読書時に眼鏡が必要であったのが、眼鏡など必要でないほどの視力向上が起こり、なによりも鼾をかかなくなったことが、博士の奥さんをも喜ばす結果となった。

このように小さな食の変化が、目を見張るほどの体力・健康の変化をもたらし、衝撃的な体験を原点に、新たなスポーツ栄養を提唱し始めた。

 

この180度転換された博士の新しい方針に、周囲は度肝を抜かれたに違いないことは想像に難くないであろう。

これまで、パンや米、パスタなどの糖質を食べまくれと提唱していたのが、いきなり「糖質は一切食べるな、代わりに脂肪をうんと摂れ」などと声高に叫ぶのだから、誰もが耳を疑い博士は気が狂ったのではないかと懸念したことであろう。

が、博士の叫ぶ内容は、データに基づいた純科学的なものであり、加えてあちらこちらから減量に成功した人や、健康を改善した人の歓声が風に運ばれてくるに従い、賛否両者にとってただならぬ衝撃が走りだした。

学者として権威ある地位と名声を得ていたにも関わらず、これまで教えてきたことは間違いであり、かえって肥満や2型糖尿病を蔓延させてしまうと、40年の功績を全て投げ捨てて、降りかかるであろう火の粉など考慮もせずに、正直に間違いを訂正し、真実を叫ぶ博士の生き様は、科学者の鏡と言うだけでは不十分で、人間として為しがたい偉大な行動の実践者である。

 

破竹の勢いでLCHFダイエットを推し進める博士は、2013年に5週間で『The Real Meal Revolution』を書き上げ出版した。

そして、この本が南アフリカだけで25万部の売り上げを見せ、まさに革命の狼煙を上げた様相であったが、逆にこのことが引き金となって、事は裁判へと展開していく。

ノークス博士は、栄養学に関して起訴される、近代医学史上最初の医学者となるのであった。

[amazon_link asins=’B076P8N9VH’ template=’ProductCarousel’ store=’kiyohisaf-22′ marketplace=’JP’ link_id=’d878cfa4-a964-11e8-be99-3f6314474b83′]