進化の標

いつ、誰から聞いたのかはっきりとは覚えていないが、未だ狩猟採集生活を続けているアフリカの先住民が、どのようにして獲物を仕留めるかを聞いて、驚いたことを思い出した。

狩りと聞いて吾人がまず想像したのは、穴を掘って罠を仕掛け、罠に引っ掛かった獲物に岩や大木、槍や斧を投げつける騒々しいものであったが、生き残るために必死な動物は、罠にかかるほど馬鹿ではないし、あの広大なアフリカの草原でちっぽけな罠に掛けるなど、宝くじに当たるような確率で無理な話しであろう。

実際には、狙った獲物をひたすら追いかけ、何時間もかけて追い続け、最終的には獲物の方が体力を消耗すると同時に脱水症状に陥り、もうこれ以上逃げることができなくなり、自ら倒れてしまうというものだった。

これを、持久狩猟と言う。

この持久狩猟が、進化の分岐点の標とも言えようか。

 

このことを紹介したBBCの番組クリップがあるが、これによれば、2足走行は効率的で、人は手が自由な分、水を携帯し喉が乾いた時に補うこともでき、何よりも、汗が出ることによって、体内の熱を処理することができ、炎天下の草原を走り続けることが可能であると言う。(「Human Mammal, Human Hunter | Attenborough /Life of Mammals |/BBC」2009.https://www.youtube.com/watch?v=826HMLoiE_o

それに対し全身が毛に覆われた動物は、4つ足でエネルギー消費が倍になると察しがつくし、発汗作用が無いので体内に熱を貯め、水分補給やクールダウンができないまま、丁度熱中症になって倒れてしまうのだろう。

真夏の日本で、毛皮を着こんで水も飲まずに、皇居を走り回るようなものである。

このドキュメンタリーでは、8時間もの追跡の末にクーズーがへたばってしまったが、追跡途中で足跡をかき消し姿をくらますような、クーズーの生き残り本能の行動もさることながら、野性へと思考移入をして、クーズーが取るであろう逃避経路を寸分の狂いもなく突きとめ、獲物を追い詰めたハンターの経験と技術には驚嘆した。

と、ここで本題に移るためのキーポイントを2点取り上げたい。

それは、ブッシュマン・ハンターの持久力と認識力である。

 

マラソン走者が、ゴール間近になって歩き出したり、泣きながらゴールをしたり、時としてへたばって座り込んでしまう光景を見かけることがあるが、これは「壁にぶち当たる(hitting the wall)」と称される現象で、自転車走者では「ボンキング(bonking)」と呼ばれている。

この原因は早い話が燃料切れで、ブドウ糖が全て使い果たされて起こるものだ。

通常、ガス切れは中から強度の運動では60∼90分、弱から中度の運動は90分から2時間かかるようで、まず、血液中にあるブドウ糖が使い果たされ→筋グリコーゲン→肝臓グリコーゲン→糖新生→脂質(β酸化)となるのだが、あいにく最後の脂質は長鎖脂肪酸なので、脳の血液脳関門を通り抜けることができないため、脳にガス欠が起こるのだ。

そして、そこから得られる症状は、まずいきなり食べ物のことしか考えられなくなり、それから5∼10分後には寒気と震えに襲われる(アドレナリンの解放)。

それでも食べずに走り続ければ、パフォーマンスがガクンと落ち、気が塞いで精神的に深く落ち込むと言う。

それ故に、走行中にスポーツドリンクやジェルなどでカーボ(糖質)を補給するのだが、これがかえって、消化器官内でガスを大量に発酵させ仇になることもある。

以上はブドウ糖代謝のアスリートの例であり、ケトン人アスリートのことではない。

 

では、ケトン人アスリートはどう違うのか?

そこで冒頭で紹介したブッシュマン・ハンターに戻る。

あの炎天下の中を8時間も水だけで動き続けた。

走るか、歩くかを延々と続け、悠に2時間は過ぎてブドウ糖は切れている状態でありながら、クーズーが足跡をかき消し身を眩ました時、乱された足跡を冷静に観察し、思考移入をして、その逃げ先を突きとめた。

ラニングシューズを履いてはいたが、スポーツドリンクやジェルなどは補給せず、どうも壁にぶち当たって落ち込む様子も見られず、疲労で頭がぼやけている様子もなく、逆に明瞭な認識力で的確な判断が為された。

つまりこれはブドウ糖に頼っている体ではなく、完璧なケトン適応の症例なのである。

これがもし、ブドウ糖代謝のアスリートだったら、果たしてブッシュマン・ハンターようにカーボ・ロード(糖質積載)無しに水だけで、炎天下の中を走り続け明晰な判断力を保つことができるかどうか、大いに疑問が残る。

 

もちろん、糖適応の鍛え抜かれたエリート・アスリートで、ケトン体無しで優れたパフォーマンスをこなす選手が多数であることは否定できない現状であろう。

が、ほとんどの持久性アスリートたちは、自身の能力や精神力に葛藤するのではなく、競技中の栄養補給とその副作用に頭を悩ませているのが現実であると聞いた。

そこでもし、多くのアスリートがケト適応で競技を行えばどうなるか?

そして、ここで疑問が湧く。

それはブドウ糖代謝のアスリートが、ブドウ糖を全て使い果たした後は、生理的反応でケトン体が生産されるのではないか?

もちろんケトン体は生産されるが、今までブドウ糖しかエネルギーとして使用してこなかった体は、新しいエネルギーをうまく使いこなすことができないのだ。

これはちょうど、ディーゼル車にガソリンをいきなり入れるようなものであろうか。

その結果が「壁にぶち当たる」ことに繋がるのだ。

そこで、ケトン代謝の体にするには、一種儀式的なケト適応期が必須なのである。

 

拙著『ケトン人』で紹介したが、1983年に、スティーヴ・フィニー博士がケトン人アスリートの研究調査を行い、「ケト適応(Keto Adaptation )」または「ケト適応した(Keto Adapted)」との概念を確立した。(注:以前にはKeto Adaptation をケトン転換と訳しましたが、「ケト適応」がより真意に近いものなので訂正いたします)

つまりケトン体をエネルギーとして使用する(ケトン代謝)までに、2∼4週間の適応期間が必要になるとフィニー博士は提示している。

この適応期間に個人差があるのは常識であり、一概に言い切れない難問であることから、ケトン推進者によっては、完全に適応するまで6週間や3カ月、または6カ月を設けている人もいる。

そして、わかりきったことであろうが、この適応期間中はパフォーマンスが落ち、筋肉も細くなるが、完全にケト適応すれば持久力が増し、力も戻り筋肉も太くなる。

 

今までブドウ糖適応の体に、糖質の摂取量を徐々に減らしていけば、糖新生やβ酸化が頻繁に為されるようになり、「壁にぶち当たる」ような状態になろう。

これがパフォーマンスの低下となり、疲れやすく、ひどい場合は筋肉が攣りやすくなる一因ともなる。

筋肉が細くなる原因は、糖のある所には常に水分が集まるもので、体内の糖が減るにつれて、糖の貯蔵庫グリコーゲンに蓄えられていたグルコース(ブドウ糖)が、貯蔵値の上限に達するまで減り出し、同時にグルコースと共に蓄えられていた水分も無くなる。

つまり、筋肉が細くなるのは水分が減るだけであって、筋肉そのものの蛋白質が減るわけではないのだ。

また、糖が途絶えれば、蛋白質を分解して糖を作り出す糖新生が行われるのだが、これにも筋蛋白質を維持するための上限があり、限度に達すれば脂肪代謝のβ酸化に切り替わり、ケトン体生産へと繋がるので、ケト適応期間中に致命的な筋肉の喪失はほとんど無い。

そうしてケトン人となれば、グリコーゲンの貯蔵量はブドウ糖適応時とほぼ同量で、筋肉維持も為されるので、毎日適量の蛋白質を摂取している限り、筋肉が減ると言うことは無い。

しかし、これが4日5日1週間2週間と長く続く断食となれば、話は別になるが…。

 

糖と水分が減ると同時に、今度は塩分が減る。

「断食時のナトリウム利尿」と呼ばれるようで、水分が減ったことに腎臓が反応をして塩分を保持することをあきらめ、代わりにカリウムを取り込むようになり、ここでカリウムの消極的なバランス崩壊をもたらす。

これが電解質のプラズマ量の削減となり、だるさやめまい、立ち眩みなどのケト風邪(Keto Flu)の症状を体験する。

また筋肉が攣りやすくなるのも、このミネラルバランスの変化によるもので、マグネシウムやカリウムを多めに摂取すれば解決するものではなく、塩分補給が鍵となるのだ。

1日の塩分摂取量は5グラム前後、小匙2杯が目安のようで、よく汗をかくなら小匙2杯以上は必要となるであろう。

このようにケトン人となれば、必須アミノ酸、必須脂肪酸と同時に、必須ナトリウムを付け足さなければならないだろう。

 

ところで、海から遠く内陸に住み、塩に縁のなさそうなブッシュマンなど、どのように塩分補給をしているのだろうか?

それは、動物の血からである。

塩分のほとんどは血液中に存在し、草を食む動物の体は大地から塩分を吸収しているようである。

仕留めた獲物を命として取り扱い、尊敬を払い、何ひとつ無駄にしない態度も進化の標であると思うが、休暇でアフリカに行き、ジープで動物を追いかけライフルで仕留めて、誇らしげに写真に収める連中が後を絶たないようであるが、これは人としての退化、後退の象徴ではないのだろうか?

 

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